今日も今日とて

今日起きたこと、今日思ったことを徒然なるままに…。

『弱者が強者に挑んだ戦い・・・母校野球部観戦記』

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33年前を振り返る

 

私が現役時代のこと。

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メンバー表と組み合わせ

はい、ファーストを守り主将でした^^

 

試合結果

 

1回戦 対都立荒川工業(神宮第二球場)

5-3

記事が見当たりませんでした^^;

 

2回戦 対都立第三商業(神宮第二球場)

7-4(延長12回)

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3回戦 対都立小岩(神宮第二球場)

13-2(5回コールド)

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ここまでは、苦戦しながらも順当に駒を進めました。

 

そして、運命の一戦へ・・・。

 

4回戦 対関東一高神宮球場

0-1

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この年、見事に甲子園初出場を決めた関東一高に敗れました。

しかも、大きな敗因は、私の走塁ミスでした。

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おかげで、新聞記事にはなったんですけどね^^;

この時期になると未だに、友達からはイジられます(笑)

多分、死ぬまで言われるんでしょうね(爆)

「良い思い出です」

って言ったら

「苦い思い出だよ!」

って、友達からツッコまれそうです^^;

 

こうして、私の高校野球生活は、幕を閉じたのでした。

 

今年の母校野球部

 

過去、我が母校野球部は、2011年に1回戦を突破していこう、昨年まで初戦敗退が続いていました。

「どうせ今年も・・・」

と、半ば諦めていましたが、今年の組み合わせ表を見た時、あることに気付きました。

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「あれ? あの時と似てる・・・」

そう思わずにはいられませんでした。

神宮第二球場でスタートし、勝ち進めば神宮球場関東一高戦。

「もしかしたら・・・」

否が応でも、気分は盛り上がります。

 

その直ぐ後には

「でもねぇ・・・^^;」

と思ってしまったのです。

 

なぜなら、早稲田高校には、数年前にコテンパンにやられました。

それを考えると、初戦突破は儚い夢と終わりそうでした。

 

そして、後輩たちの戦いは始まったのです。

 

1回戦

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当日は部下の結婚式を夕方に控えていましたが、第1試合ということもあり観戦。

 

先取点を取ったものの、5回に逆転を許す試合展開。

今までのチームであれば、このまま・・・という流れになりがちでした。

それを直ぐさま同点に追い付き、突き放し、追い込まれても再び突き放す。

それも、スリーランホームランと満塁ホームランで・・・。

強豪校の戦いぶりでした。

 久しぶりの勝利に、スタンドは甲子園が決まったかのような騒ぎに(笑)

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2回戦

 

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この日は、仕事でしたが運良く(無断で)抜け出せました^^

到着したのは5回。

2-1と勝っていましたが、僅差では怖い。

しかも、相手は大東大一高。

いつ逆転されるかも分からない。

 

ところがです、私が到着した途端、打つは打つはの猛攻。

しかも、コールドを決めた最後の1点は、ツーアウトからでした。

「やるじゃねぇか!」

OB同志がガッツポーズして、勝利を喜びました。

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「やっぱり、正夢なのか?」

思わず、口を突いて出ました。

33年前、試合数は違うものの接戦からの逃げ切り→コールド。

そして、神宮での関東一高戦。

あまりにも酷似していました。

「次の結果だけは、逆になると良いな^^」

そう話していました。

 

決戦前々日

 

3回戦当日は、所用があり観戦出来ない。

どうしても試合前に、後輩にひと声掛けたい。

自分と同じ様な失敗をしないために・・・。

そう思うと、足は自然と母校のグランドへ向いていました。

 

私は、2回戦後の新聞記事に出た後輩のあるコメントを見た時

「ひょっとしたら、ひょっとするかも・・・」

と、思いました。

それは

「負けにいくわけではない。野球を楽しめれば、少しは勝算があるはず」

というものでした。

 

33年前と明らかに違うのは、自らを弱者と認め、チャレンジする気持ちでした。

私たちは、順当に勝ち上がったことと裏付けの無い“妙な自信”で満ちあふれていました。

 

グランドで、練習が終わった後、後輩たちに少し時間を貰って話しました。

 

「君たちの謙虚な気持ちでチャレンジすれば、結果は必ず付いてくる。楽しめと言うのは、難しいことかもしれないけど、いつになっても思い出として語れる試合を、悔いの無いように戦って下さい。」

 

父親と変わらない歳のOBの話を、目を輝かせながら聞いてくれました。

もう後は、祈ることしか出来ませんでした。

 

3回戦

観戦の出来ない私に、後輩から随時、試合状況が伝えられました。

スコアボードに刻まれる、両チームの『0』が写真付きで送られてきました。

 

6回表、33年前と似たような走塁ミスで、チャンスを潰したとメッセージが来ました。

そして、運命の7回裏、1点を許した時

 

「中島さん、怖いくらい再現中です」

 

まるで33年前の試合をなぞるかのように、ミスでチャンスを潰した後に、点を許す。

野球とは、そういうものなのかもしれませんが、再現ドラマのようでした。

そしてゲームセット。

最後の報告は無く、私は高野連の試合速報で敗戦を確認しました。

そして、そのまま電波の届かない所へ入ってしまった私。

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このふたつの記事が後輩から届いたのは、2日後のことでした。

 

試合後、後輩たちは、どんなことを思ったろう?

泣き顔だったのか?笑顔だったのか?

それを知ることは出来ません。

いや、それを知る必要も無いでしょう。

 

後輩たちは、立派に戦ったのです。

そして、一生の思い出に残るような接戦を繰り広げたのです。

弱者だったかもしれませんが、強者に引けを取りませんでした。

 

OBたちは、自分たちの思いを後輩に重ね、一緒に戦ったのです。

そして、熱い数日間を過ごせたのです。

それだけで十分でした。

 

関東一高へのリベンジは、またお預けになりました。

いつか、いつか必ず・・・。

 

現2年生、来年は君たちが主役です。

来年もオジサンたちを熱くさせて下さい。